一度限りの人生・・

花やしき2

「一度限りの人生」

この言葉を特に40代に入って以降、強く意識するようになりました。

今回の断酒が3年を経過し、今のところ無事に継続出来ているのも、この思いが強く影響しているような気がしています。

20代、30代の頃は、勿論自分の人生が永遠に続くとは思ってはいませんが、直に自分も年老いていき、人生の終焉を迎えていくということに対しての意識が弱かったように思います。

40代、それも中盤を過ぎて以降、自分の人生も既に折り返しを迎えつつある中、「1度しかない人生を悔いなく生きたい」という思いが強くなってきています。

以前、以下のような記事を書きました。

私は普段からあまり小説などは読まないのですが、たまに東野圭吾氏など人気作家の小説を読むことがあります。

上の本もそうしたうちの1冊です。

読んだこと自体がもう大分前のことなので、正直細かいストーリー等は忘れてしまっていますが、今でもハッキリと覚えているのが上記画像の帯の部分のフレーズです。

「悲劇なんかじゃない。これがわたしの人生」

特に

「これがわたしの人生」

の部分です。

何か強烈な覚悟のようなものを感じます。

自分の人生に対する強烈な覚悟。

これまで、このブログの中で何度も触れてきましたが、私はここ20年ほど酒に浸かりきった生活を送ってきました。

正直「これが私の人生」と胸を張って堂々と言えるようなものではありません。

更に言うと、もっと幼い頃、まだ酒というものを口にしたことがなかった頃にまで遡ってみても、何か「自分の人生を生きる覚悟」というもの自体が足りていなかったように思います。

「今の自分は、将来そうなるべき理想の自分になるための準備期間に過ぎない」

「だから今はまだ自分の本当の人生じゃない。○○を達成した後に本当の自分自身の人生が始まる」

このような意識の中で、ただ漫然と日々を過ごし、「現状の至らない自分自身の人生」を真正面から直視することから逃げ続けてきました。

更に酒がこうした状況に拍車をかけます。

結果、酒と共に歩んできた「失われた20年」。

ここに1つの転機がありました。

2014年11月2日。

昨年、断酒をスタートさせた日です。

その後、途中で1週間ほどのスリップもありましたが、現在は断酒再チャレンジを継続中。

そして徐々に自分の中で「酒のない生活」が当たり前のものとなっていく中、遅ればせながら、ようやく

「何かから逃げ続けている日々も、紛れもない自分の人生」

「将来の自分のための準備の日々も、紛れもない自分の人生」

そして、どこかで決断をしなければ

「何かから逃げ続けているうちに人生が終わる」

「将来の理想の自分になるための準備に明け暮れているうちに人生が終わる」

「1度しかない人生が無為に終わる・・」

このように思い至るようになりました。

現在44歳。

この先の人生がそれほど長い訳でもありません。

今後は、

「こうして日々生活している瞬間、瞬間こそが紛れもない自分の人生なんだ」

ということを強烈に意識しながら日々過ごしていきたいと思っています。

 

これまでの人生が100点満点だったと思える人は少ないと思います。

特に私は散々な人生でした。

ただ、過去は振り返っても仕方ありません。

大事なのは、今日からの人生を悔いなく生きること。

引き続き、地道に頑張っていきたいと思います。

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断酒成功への分岐点(2)

ドラえもん

断酒を継続していく上で、障害となりうるものは数多くあると思います。

特に断酒を開始して間もない頃は、「シラフで眠りにつくことの難しさ」であったり、「あまりにも味気なく、空虚に、そして途方もなく長く感じられる夜の時間」であったり、また「酒を飲むことでしかつながりのなかった交友関係」であったり、本当に様々な要因が断酒を続けていく上で、自身に立ちはだかってくるように思います。

そうした数多くの困難の中でも、特に最も大きな障害の1つが、「自身に対する低い評価、すなわち自尊心の低さ」ではないかと私自身は思っています。

以前、このような記事を書きました。

ようやく週末です。

今週もなかなかに忙しかったです。

ところで、仕事の方で色々と問題が生じております・・・

何か愚痴っぽくなって申し訳ないですが、そうした記事を今日は書かせてください・・

(一部略)

と、愚痴はここまでにします。

本当に書きたかったのはここからです。

実際、こうした職場でのイザコザやメンドクサイ人間関係の悩みなどは皆さんも日常茶飯事でしょう。

私自身、これまでの職場でも、いくらでもありました。

「そんなことでいちいち悩んでたら、きりがない。こっちの方が何倍、何十倍も大変な状況だよ」と思われた方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。

確かに、ささいなことだと思います。

ただ大事なのは、

「こういうささいなことだからこそ、我慢しては駄目だ」

ということだと思うんです。

これまでの「酒を飲んでた頃の自分」だったら、こうした状況でどうなるかと言うと、

金曜日の夜、一週間の仕事がようやく終わり、悶々とした気分のまま酒を飲み始める。

延々と明け方まで飲む。

でもそうすることで、気分が晴れ晴れとなる訳では当然ない。

一時的に忘れることができるのが、せいぜいです。

そして翌土曜日、昼過ぎに二日酔いで目が覚める。

悶々とした気分は前日よりも大きくなっている。

そして、このあたりから「自己嫌悪」の気持ちも湧き上がってくる。

それは、

「こんな些細なことで悩んでいる自分は本当にどうしようもない」

「皆、これくらいの苦労は普通に我慢してやっているのに、どうして自分はこんなことで、いつまでもクヨクヨ悩んでしまうのか」

「自分が少し大人になって我慢すれば良いだけの話じゃないか」

「上司に相談してみようか。でも上司も忙しい中、こんな下らない自分の個人的な悩みで時間を取らせる訳にもいかない」

「いくら自分と気が合わない女性だといっても、1年半もこの職場でやってきた大先輩だ。自分のような、ぽっと出に意見を言うような資格はない」

「自分は、これまでの職場でもこういったことが何度もあった。ということは、やはり自分自身のほうに問題があるのではないか」

「彼女も自分以外の人に対しては、別に嫌な態度は見せていない。自分にだけ冷たい態度をとるということは、やはり自分の方に非があるのではないか」

こうしたことを色々と考えてしまいます。

だんだんと、彼女に対する怒りがベクトルを変え、その矛先が自分自身に対して向かってきます。

結果、自分自身を「酒」という麻薬で徹底的に痛め付けます。

土曜日の夜。

二日酔いのまま酒を飲み始めるが、引き続き同じことをずっと考え続けている。

酒に酔って、ボーっと麻痺した頭で、

「やはり自分が我慢するしかないのか」

と観念するようになる。

ただ一方で釈然としない気持ちも残っており、なかなか全てを消化しきれない。

そして日曜日も酒浸り。

明けて月曜日の朝。

相当に気が重いまま、何とか出社。

状況は何も変わっていない。

こうした日々を続けているうち、いつかどこかで自分自身のキャパでは我慢が限界に達して、もう処理できなくなる。

そして結果、その職場から逃げるように辞めていく。

こうしたことを繰り返してきました。

このように

「全ての責は自分にある」

というような思考回路にはまっていく大きな要因が「酒」ではないでしょうか。

酒を飲むことで、悩みを紛らそうとする自分。

つまり酒に逃げている自分。

でも、当然酒を飲むことで事態が改善する訳でもない。

酒に飲まれている自分。

酒に負けている自分。

などなど・・

長年の飲酒により、こうした自分自身に対する「負の感情」が蓄積してくると、いざ外部からの攻撃・圧力のようなものが来た時、それに立ち向かうのではなく、逆にそれを全て受け容れてしまい、「全ての諸悪の根源は自分」というふうに思い込んでしまうようになる。

「敵は我にあり」

何か問題が生じた時に、まずは自分に非がなかったかどうかを省みて、自分自身の行動を反省し、改善に努めていく。

確かに素晴らしい考え方だと思います。

ただモノには限度というものがあります。

何でもかんでも、日常で起こる全ての問題に対して、律儀に自分の至らなかったところや改善点を探していては身が持ちません。

また、たとえ全ての問題の原因を自分としようとしたところで、肝心の自分自身が、それに全面的に納得できるかと言えば、そうではないでしょう。

逆に、そうした釈然としない思いが徐々に膨れ上がって、最終的には自分で処理しきれなくなってしまう。

一方で、「断酒」を継続している今、今回の件でどのように自分が考えているかというと、

とにかく一番大事なことは、

「自分自身を大切にすること」

とにかく、これに尽きます。

どんな些細なことであれ、

自分が思っていることに真摯に耳を傾けてあげる。

自分自身が思っていることを丁寧に理解してあげる。

そして、自分が思っていることに即した行動を取ってあげる。

こうしないと自分が可哀想過ぎます。

これは何も、傍若無人、自分勝手にわがままに振舞えと言っている訳ではありません。

これまで25年もの間、「酒」という麻薬で徹底的に自分を苛め抜いてきた。

その間、文句一つ言わずに一緒に歩いてきた自分。

その自分の体が昨年11月にさすがに悲鳴を上げ始めた。

怖くなって、断酒を始めた。

そして約半年。

いまだ悩みの渦中。

本当に冴えない人生が続いています。

今日久し振りに実家の母親と電話で話しました。

20代の頃は事ある毎に「はやく結婚して、孫の顔を見せてくれ」と言っていた母も、今はもう何も言わなくなりました。

ソープランドで働いていたことも知っています。

自分自身を大切にしなかったせいで、結果的に一番身近な人たちさえも不幸にしてしまっている。

思い悩むときは、いつもこの絵です・・ドラえもん

皆さんも自分自身を一番大切に。

自分自身に対して、どうしても低い評価しかできないことで、対人関係でも思うように振舞うことが出来ず、その結果さらにストレスを抱え込んでしまい、そのはけ口を酒に求める。。

自分自身が過去25年間に渡って、はまり込んでいた、負の黄金パターンです。

このパターンに陥らないためにも、やはり自分自身にあまり厳しくなり過ぎることなく、適度な優しさを持ちつつ、マイペースで断酒が続けていけるよう、自分自身も含めて皆頑張っていけると良いなと思っています。

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断酒成功への分岐点・・

スカイツリー7

最近はなかなかブログに割く時間が取れずに、更新も滞りがちですが、改めて最近、これまでの3年間の歩みを振り返る意味もあり、このブログを見返す機会が増えました。

いざ過去の記事を読み返してみると、やはりその当時のことが鮮明に思い起こされます。

今後、機会があれば、たまに過去の記事を振り返りつつ、ブログを更新していければと思っています。

さて、タイトルにも書きましたが、まだまだほんの3年が経過したばかりではありますが、こうして断酒が継続出来ていることについて、その分岐点というか、一番苦しかった時期というか、この時期を乗り越えられたからこそ今の自分があるというか、そう思える時期が自分にもあります。

それは断酒を開始してから、まだ1か月未満の頃だったように思います。

その当時の苦しかった頃に書いた記事を以下に掲載します。

5月12日から再び断酒に挑戦していますが、ここまで約2週間が経過、薬の力も借りつつ何とか続けることが出来ています。

シアナマイドとレグテクト。

この2つの薬を使用していますが、正直シアナマイドに関しては「この薬を使っていなければ、おそらくもう既に再び酒に手を出してしまっていただろう・・」と確実に思えるくらい助けてもらっています。

現状、再び酒に手を出したくなるような状況からなかなか脱け出すことが出来ずにいるということでもあります。

その理由はいくつかありまして・・

1)前職の辞め方があまり綺麗なものではなく、いわば逃げるように辞めてしまったということ。

2)当時は半年間酒を止めていられたにも関わらず、結局仕事を続けることが出来なかったという事実。酒を止めることで本当に自分の人生が好転するのかということに対して、かなり懐疑的になってしまっている。

3)たとえ今回このまま断酒は続けられたとしても、新しい職場に馴染めずに結局また仕事を途中で放り出してしまうのではないかという懸念が拭えない。

このような思いが悶々と自分の中で渦巻いてしまっています。

泣き言にしかなりませんが・・

すべてはもう過ぎ去ってしまったことで、今更頭の中でウダウダ考えても何も物事は改善しないということも理解しているつもりではいるのですが、なかなか心機一転、新たな行動に移せない自分がいます。

こうしたモヤモヤが自分の中で色々とうごめく中で、なかなか職探しに本腰を入れることが出来ないでいるというのが実情です。

酒との付き合い方に悩んではいたとしても、それとこれとは別のこととして日々仕事に励んでいらっしゃる方々から見れば、何とも情けない状況ではあると本当に痛感しています・・

そうしてこのような日々が続く中、何とも言い表せない無為感、無力感が鬱憤のように蓄積していき、自己嫌悪だの何だの本当に色々な否定的な感情に押し潰されそうになります。

こうした時にふと頭に浮かぶこと、それは・・

「酒が飲めれば、どんなに楽か・・」

という思いです。

今もし手元にシアナマイドがなければ確実に酒に手を出していたでしょう。

このように何の希望も無い日々を無為に過ごしている中ではありますが、寝起きにシアナマイドを服用するということだけは何とか続けており、そのおかげで今のところ断酒が継続出来ている、そのような状況にあります。

一方でレグテクトに関しては、飲酒欲求を抑えるという点での一定の効果は感じつつも、副作用に関して少し気になるところもあり、本来1日3回の服用のところ、1日1回のみの服用という使い方をしています。

ちなみにレグテクトの副作用についての個人的感想ということで、先日以下のような記事を書いています。

(「レグテクト」その副作用やいかに!?)

そしてここからが今日の記事の本題となります。

前回半年間の断酒を開始した当初の2週間と今回との比較ということで少し考えてみたいと思っています。

前回断酒を始めた当初の2週間というのは本当に色々と大変でした。

実際に断酒を始めることで、それまでの「酒が当たり前にある生活」とのギャップのあまりの大きさにまずは圧倒されました。

「酒のない日々」というものに対する凄まじいほどの違和感。

一方で、「あんなに好きだった酒すら飲むことが出来なくなってしまった自分」に対する、ある種の惨めさにも似た感覚も同時に湧いてきました。

このように「酒を止めたことですぐに100%前向きになれた自分がいたか」というと全くそんなことはありませんでした。

ただそうした違和感というか、自分を惨めに感じる気持ちというのは最初の2週間ほどで徐々に消えていきました。

そして、そこからは「酒を飲まないでいられる自分」というものに対する強烈な自負心というか、誇りというか、そうした自己肯定感、全能感に完全に支配され本当に120%前向きで積極的な自分に生まれ変わることが出来ました。

今思えば、逆に少し思い上がり過ぎの面も否めないくらいです。

こうしたいわばジェットコースターのような激しい感情の起伏を経験したのが前回の断酒開始からの2週間でした。

翻って(ひるがえって)今回の断酒再開における2週間を振り返ってみます。

驚いたことに、上で書いた2つの感情のどちらも湧いてきません。

断酒をしていることに対する負の感情も、正の感情も本当に何の感情も湧いてこないことに驚いています。

ジェットコースターどころか、全くの平坦な道をただ淡々と走っているような感覚です。

走っているということの爽快感すら感じることもありません。

すなわち、

1)酒を止めたことでの違和感、そして酒を飲めない自分に対して惨めに思うような感覚

2)一方で、酒を飲まないでいられる自分自身に対する強烈な自負心、達成感

このどちらの感情も全く湧いてこないまま2週間が経過してしまいました。

確かに今回は半年間の断酒からスリップして、そのまま6日間の連続飲酒、そして「これはマズイ」と思って病院に行き、薬の力を借りての断酒再開という経緯を辿っています。

ですので、何か自分の中では前回の断酒継続半年間の最後の頃の感覚「断酒を続けているということが何か特別なイベントではなく、ただ単に日々の平凡な日常の1つに過ぎない」というような感覚に既になってしまっているように感じます。

断酒の生みの苦しみも感じないかわりに、その達成感も感じることがない。

いわばそういった状況です。

今後職探し等、私生活の面で何か進展があれば、自分自身の気持ちにも前向きな変化が生まれてくるのではないかと思うように努めるくらいしか今は手がありません。

ただこのように悶々とした日々を過ごす中、断酒を続けていることに対して特に何の感情も湧いてこない現状ではありますが、一方でただひとつ確かに言えることがあります。

それは・・

「もしこのような状況の中、実際に酒に再び手を出してしまっていたなら、今以上に本当にどうしようもないくらいのまさに地獄の日々を過ごしているだろう」

ということです。

おそらくこのブログの更新自体も止めてしまっていると思います。

そのように考えれば、酒を断っているということで本当に「九死に一生を得ている」というふうに思わないといけないのかも知れません。

本当にどうしようも無い日々を無為に過ごしている現状ではありますが、最後の一線である「酒に手を出す」という行為の一歩手前で何とか踏みとどまっているという事実に対して、少しだけは安堵の気持ちを覚えても良いのかも知れません。

ということで今日はここまでにしたいと思います。

この頃は本当に辛かったです。

シアナマイドとレグテクトという2つの薬の力を借りて、何とか酒を断つことが出来てはいるものの、それが果たして自分にとってプラスなのかどうか、それすら客観的に考えることも出来ないような状況でした。

ただ、今振り返って言えることは、

「この時期に苦しいながらも、酒に逃げることをしなかったお陰で、今の自分がある」

ということです。

皆さんも断酒を始めた当初というのは、酒を断つということに殆どのエネルギーを費やしてしまうため、それ以外のことに対して無気力になったりすることもあったり、そうしたことで、逆に自分自身に対してフラストレーションをためてしまうこともあるかも知れません。

ただ、断酒を始めた当初というのは、「酒を断つ」ということだけに集中し、それ以外のことに関してはまた断酒が軌道に乗り始めてから徐々に考え始めるという風に、あまり自分を追い詰めすぎないことが大事なんだろうなと、今の自分は強く思います。

特に、このブログを読んで頂いている方で、今ちょうど断酒を始めて間もない、一番苦しい時期を耐えておられる方は、とにかく「酒を断つことが出来ている自分」に対して、何よりも自分自身が高い評価を与えてあげることが大事なのかもしれません。

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酒によって失われた時間・・

またまたいつものごとくご無沙汰しています。

今年も既に半分が終わろうとしていますが、断酒の方は無事継続できています。

今日時点で継続日数は1,141日となりました。

断酒の継続も丸3年を過ぎて、特に飲酒欲求が湧くこともなく、日々を過ごせています。

また職場の方も今月で継続丸3年が経過し、お陰様でこちらの方も特に問題もなく続けることが出来ています。

日中の仕事に加えて、夜の帰宅後についても、昔は酒を飲んで酔っぱらった状態で過ごしていた時間を有効に使うことが出来ています。

振り返って、この3年間と少しの間に、酒を飲まなかったことで有効に使えた時間がどれくらいあったかを考えると、相当な量になるような気がします。

ちなみに以下は、以前このブログで書いたことのある、「酒をやめることで浮く時間」についてです。

11)有効に使える時間が格段に増えた

これも本当に大きな効果です。

酒を飲んでいた頃というのは、当然のことながら「長い晩酌の時間」というのが1日の中での何よりの楽しみでした。

普段仕事のある平日は、20時くらいから晩酌を始めて平気で3時間くらいは飲み続けていました。

休日には、この晩酌の時間が更に長くなります。

特に雨などでテニスが出来ない日などは、昼過ぎくらいから酒を飲み始めることも普通にありました。

更に「酒によって潰されていた時間」ということで考えると、「前日の酒が残っていて、何もする気が起こらない朝の状態」というものも、そうした時間に含まれるでしょう。

簡単に計算してます。

[1] 月~金曜日の夜の晩酌の時間:3時間×5日=15時間

[2] 土・日曜日の夜の晩酌の時間:5時間×2日=10時間

[3] 月~金曜日の朝の酒の残っている時間:2時間×5日=10時間

[4] 土・日曜日の朝の酒の残っている時間:3時間×5日=15時間

上の[1]~[4]の合計が50時間。

1週間の総時間は24時間×7日=168時間。

50時間/168時間=29.7%。

すなわち、1週間の中で酒によって無駄に使われていた時間が全体の3割を占めていたということになります。

今はこうした時間のほぼ全てが自分の自由に、もしくは職場においてより効率的な仕事のために使うことが出来ています。

この「有効な時間が増えるという効果」は、数ある「断酒によって得られる効果」の中でも、「健康面での効果」と並んで1,2を争うくらい貴重で重要な効果と言えるのではないでしょうか。

上記によると自分の場合、1週間あたり約50時間が酒によって無駄に消費されていたようで、そう考えると、この3年間(約156週)で、計50時間×156週=7,800時間!

これは24時間で割ると何と325日!!

3年間のうち、実質1年に相当する時間が酒によって無駄に使われていたということになります。

改めて、酒の怖さを思い知ります。。

明日からも、また地道に断酒・仕事ともに続けていけるよう頑張りたいと思います。

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今週も無事に1週間終了・・

今週も無事に1週間が終わりました。

その後、仕事の方もお陰様でボチボチ順調にやっています。

今年の5月には断酒継続も3年となります。

趣味のテニスの方も細々と続けています。

今日もとりとめなくてスイマセン。

また折りを見てアップしていきます。

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