「吉原物語13」人夫生活も4ヵ月が経過。徐々にストレスが溜まり始める頃・・

山谷

久々に吉原物語です。

2010年の夏。

福岡での人夫時代の話が続いています。

会社の寮を出て一人暮らしを始めた私は、引き続き人夫の仕事に精を出す日々を送っていました。

この頃になると、従来の産業廃棄物処理場でのゴミ仕分けの仕事以外に、解体現場の仕事に回されることも増えてきました。

ちなみに産廃処理場でのゴミ仕分けは日給7千円、そして解体現場は日給8千円でした。

この1千円の違いはどこにあるのかと言うことですが・・

解体現場の方が人夫としての経験を必要とする仕事が多く、また危険度も高いというのが大きな理由だと思います。

足場を組んだり、命綱を使って高い場所で作業をしたり、またバールを使って建物の解体を行ったりといったものです。

ただ私自身としては、それまでに人夫仕事の経験などもなかったため、実際に解体の現場では戸惑うことが多かったです。

また解体の現場では、面識のない解体会社の社員や人夫達の間で色々と気を遣うことも多く、そのため個人的には、日給1千円の差を加味しても産廃処理現場で働く方が正直良かったです。

単純に体力的な面でどちらの現場がハードかと言われると甲乙付け難いところもありましたが、精神的な疲労度が天と地ほど違うということです。

産廃処理の現場はある程度固定のメンバーで、現場の社員の方々も一緒に働く人夫達も見知ったメンバーなので、気を遣わなくてすむということ。

加えてこの現場の社員の方々は本当に良い人が多く、人夫をいわゆるモノ扱いするようなことが全く無かったので、自分の居場所というもの確保することが出来ました。

一方で解体現場の方は、その日どの解体会社の現場にまわされるか、どの社員の下につくか、そしてどの先輩人夫と一緒になるのかということが日替わりなので、まずその時点で結構なストレスとなります。

中には1週間程度続く現場もあり、その場合はメンバーもほぼ固定となります。

ですが、その現場が終わるとメンバーはまた散り散りとなり、また次はどこに回されるのかと都度気を揉まなければなりません。

我々人夫は、地元の解体会社の文字通り手足として駆り出されます。

実際私も幾つかの解体会社の現場で働きました。

正直、どこの現場でも少し変わったような社員がいました。

そしてこれは仕方のないことですが、そういった現場において我々人夫は完全にモノ扱いです。

通常の現場では、解体会社の社員が1名入ります。

社員は現場監督も兼ねています。

そしてその下に我々人夫が3、4名程度。

そのうちの1名がリーダー格の人夫で、解体会社の社員は基本的にこのリーダー人夫としか話しません。

他の私たち下っ端の人夫は、はなっから無視です。

当時私が入った解体現場は通常の民家であったり、町の酒屋さんであったり、そうした建物の解体が多くありました。

解体の手順としては、まず初日は建物の周囲に足場を組みます。

足場を組む作業においては、私は「手元」という立場で、足場を組むトビの人夫達に下から必要な道具を手渡すという下っ端の仕事をしていました。

そして足場を組み終わると周囲をシートで囲みます。

こうすることで解体作業中にホコリやモノ、そして音が周囲に撒き散らされることを防ぎます。

次に解体する建物の室内にあるゴミの片付けです。

トン袋というでっかい袋を部屋の真ん中に置いて、そこに手当たり次第にゴミを入れていきます。

もしくは建物にダンプを横付けしておき、上の階の窓から直接ゴミをダンプの荷台に放り込みます。

民家等では、こうしたゴミ整理中に現金がポッコリ出てきたという話もたまに耳にすることがありました。

その金は当然見つけた人夫が黙って自分のものにします。

またゴミ片付けの作業と平行して、別の人夫達がバールを使い壁をブチ壊していきます。

いわゆる石膏ボードというものをバールでどんどん崩していき、骨組みだけが残った状態にしていきます。

この時のホコリが凄まじいんですよね。

更に言うと、この石膏ボードにはアスベストが含まれているものもあります。

こうした人体に危害のあるホコリが舞う中、たった1枚のマスクで顔を覆いながら淡々と作業を進めていきます。

命を削りながら安日給のためにただひたすら働く、そういった現場であることは間違いありません。

これは解体現場に限ったことではなく、産業廃棄物処理の現場にも言えることです。

やはり人間、一度搾取される側にまわってしまうとなかなかそこから抜け出すのは難しいということでしょうか。

ちなみにここまでの作業、足場を組んでシートで囲って、ゴミを片付け、バールで部屋の壁をブチ抜く、というところまでで大体2日程度要します。

この2日間、解体会社の監督社員は全く何もしていません。

20歳そこそこのニーチャンです。

タバコを吸いながら椅子に座ってケータイをいじっています。

その間、現場の指揮をとっているのはリーダー格の人夫です。

解体会社の社員へのアピールのためか、必要以上に我々下っ端人夫をどやしつけます。

「おいコラ、ちんたらやってんじゃねえぞ!!」

「さっさと動け、オラオラ!!」

延々とわめいています。

「うっせえなあ・・」

決して口には出せない思いを心にグッとしまって、汗まみれにそしてホコリまみれになりながら黙々と働きます。

そして現場3日目を迎えます。

我々人夫が手作業で壊せる部分はもう既になく、建物の骨組みだけが残った状態です。

ここでようやく解体会社の社員の出番です。

デカイ重機に乗り込み、骨組みを易々と解体していきます。

そしてバラバラになった骨組みを、我々雑魚人夫達がアクセクしながら拾い上げ、ダンプに積み込んでいきます。

この間も、リーダー人夫はずっと我々雑魚人夫を怒鳴り続けています。

作業が始まってから丸3日で建物は跡形も無くなりました。

そして最後の残骸を我々人夫で片付け終わると、全くの更地の状態となります。

最後に残された仕事は、この更地を綺麗に整地することです。

引き続き社員が重機を使いながら更地を平らにしていきます。

我々人夫は重機では手の届かないコーナー部分や狭い箇所等をシャベルを使って整えていきます。

こうした間も気を抜くとリーダー人夫の罵声が飛んでくるので、気を抜かずに作業を進めます。

こうして「整地までが完了すると1つの現場が終わり」というのが、一般的な解体の現場でした。

冒頭でも触れたように、現場によって、そして日によって上の人間が変わるというのが結構気を遣う部分でした。

なかには凄くやりやすい社員もいることにはいたのですが、大概のケースは上に書いたような人夫をモノとしか見ないような社員の現場が多く、それも結構なストレスになりました。

あとこの時期8月頃は学校の解体案件というものが結構ありました。

校舎の建てられた時期によっては、アスベストを含んだ石膏ボードが使用されているケースもあるようで、そうした取替えのための現場でした。

こうした作業は当然生徒がいる時には出来ませんので、夏休みの時期を利用して取替えを行うということのようです。

とにもかくにも、寮を出て一人暮らしを始め軌道に乗りつつあった人夫生活ですが、暑さがピークの8月を迎える中、体力的な疲労だけでなく解体現場でのストレスも蓄積されつつあり、その行く末に何か不穏な気配を感じつつありました。

ということで、また次回に続きます。

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「吉原物語13」人夫生活も4ヵ月が経過。徐々にストレスが溜まり始める頃・・” への2件のコメント

  1. 先日働いた工場がそういう雰囲気でしたね。社員以外の先輩パートの人が「足」で指図するような現場でした。もう辞めましたが、一番一緒に働きやすかった人は、皮肉にも「現場で一番使えない」と言われてた人でした。あそこには、体がまともだったとしても戻りたくないですね。

  2. めたぼ侍さん。
    いつもコメント有難うございます。
    そうですか、その職場も大変そうですね。
    社員よりも先輩パートが威張り散らしているパターンって結構ありますよね。
    色々ありますが、お互い頑張っていきましょう。

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