「吉原ソープ物語7」久々の投稿です。まだまだ福岡での人夫時代の話が続きます・・

久々に「吉原ソープ物語」です。

最後の記事を描いたのがいつだったかと確認したところ、もう2週間以上前でした。

その時の記事はこちら(「吉原ソープ物語 6」日当7,000円。一方でサラ金2社からの借金が約2百万円。何とか10万円貯めて独り暮らしを始めたい・・・)です。

かなり前になるので、ざっとこれまでのあらすじを振り返ってみたいと思います。

ちなみに第一話はこちら(「吉原ソープ物語」ソープランドのボーイとして1年半働いた日々を書いていこうと思う。でも、その前に人夫生活の日々から始めようか・・・)になります。

まずはどうして人夫として働くことになったかということですが・・

2010年の年明け、当時サラリーマンとして勤めていた会社を逃げるようにして辞めた私は、そのまま博多のサウナやネットカフェを転々とする日々を過ごしていました。

ただ、そもそも大して金を持っていた訳でもなく、働かずに散財を続けていく中、1カ月ほどで手持ちの金も底をつき、そのまま路上生活に突入してしまいました。

当時季節は真冬で、いくら手持ちの金がないとはいえ、外で一夜を過ごす日々を続けるというのはあまりにも辛く、1週間ほどで路上生活からも逃げ出したくなりました。

「この先どうすればいいのか」と冴えない頭で考えを巡らせたところ、

「さすがに働くしかない」という当たり前の結論に達し、

住み込み寮のある人夫出しの職場に転がり込みました。

実際に数ヶ月の間、住み込み寮に暮らしながら、産廃ゴミの仕分けの仕事を淡々とこなす日々を送っていました。

そうした日々を送っていく中、だんだんと夏が近づいてきました。

あの凄まじい暑さ、異常なほどの猛暑だった2010年の夏です。

住み込み寮には当然のごとくエアコンなどはなく、あまりの暑さに耐え切れなくなってきた私は、今度はこの寮からどうやって脱出するかということを考え始めました。

そうした中、ちょうど素晴らしく良いタイミングで、職場で日々残業が発生することとなりました。

残業をやれるだけやって、そのおかげで7月の中旬くらいまでに何とか独り暮らしの初期費用として、目標であった10万円を貯めることが出来ました。

そして無事新居も決まり、7月の後半くらいに独り暮らしを始めることとなりました。

博多駅から徒歩15分くらいのワンルームマンションで、家賃は3万円台後半でした。

当然エアコンもついています。

改めて、「エアコンのある暮らし」の素晴らしさを実感しました。

そして純粋に「独り暮らし」の素晴らしさも。

もちもと私は、あまり人と連れ立って行動するタイプではなく、特に当時は酒を飲んでいたので、「独り静かに過ごす晩酌の時間」というのが唯一の楽しみでした。

ただ寮だと、なかなか独り静かにというわけにもいきません。

人夫の中には、どうしても人とツルミみたいタイプの人もいます。

そうした人達は、当然悪気がある訳ではないのでしょうが、結果として自分的には非常に煩わしい思いをすることも多々ありました。

特に寮だと、どうしても逃げ場がないため、お誘いをなかなか断りずらいということも悩みの種でした。

他にも寮での集団生活は色々と苦労もありました。

当然風呂も共同なので、仕事終わりに帰宅しても1時間近く風呂の順番待ちになることもザラでした。

仕事で丸一日ゴミを仕分け続けホコリまみれになって寮に戻ってきて、作業着の洗濯をしようにも洗濯機も当然共同ですので、これもまた自分の順番が来るまで待たないといけません。

冷蔵庫も2階に1台あるだけでしたので、3階の部屋に住んでいた私は、チューハイを飲み干す都度、下の階に次の酒を取りに降りていかないといけません。

寮を出て独り暮らしを始めることで、そういう色々な煩わしさ、しがらみから、ようやく解放されることになりました。

これが、2010年の8月に入る少し前の頃の話です。

いざ寮を退去するときには、少し感慨深いものもありました。

「よくここまで復活出来たものだ・・」

思い起こせば、さかのぼること5カ月ほど前、手持ちの金が一銭もなくなり、まさに着の身着のままで、この寮に潜り込んだのが全ての始まりでした。

そうした状況から、「よく独り暮らしが出来るようになるまでに返り咲くことが出来たものだ」と自画自賛し、そして自己満足に浸っていました。

ただこれは後に続く地獄の日々への序章にすぎませんでした。

ということで、またまた次回に続きます。。

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